旧大宮市の位置と歴史

大宮市と言う名称は、今はもう存在しなくなりましたが、人々の間では「旧大宮市」という表現を使って、そのあたり一帯にまつわる古い歴史や地理的な話が語り継がれています。 大宮と言う名前は、この字のごとく、「大いなる宮居」と言う意味で、最初は氷川神社を指して、神聖な場所として、崇められていたようです。 平安時代の「延喜式神名帳」に、そのことが表記されています。 市の東側に岩槻市、西側には川越市、富士見市、南側には浦和市、そして北側に上尾氏、蓮田市と接する位置にありました。

 

また、ひとつの市の中に台地部分と荒川の流れる低地とがあり、その面積は89.37平方キロメートルに及んでいました。 さらに台地の部分には、いくつかの河川も流れていて、この地域はどちらかと言うと複雑な地形を形成していました。
また、大宮には、大きな氷川神社があることで、かつては門前町として栄えていましたが、神社の鳥居の場所を移動したことで、宿場町として賑わうようになります。 その後、明治に入ると大宮県が設置されますが、即座に浦和県と名称が変わります。 そのうち、高崎線が開通しますが、この地域にまで駅が設置されてなかったことで、かつて多くの人で賑わった街として機能をどんどん失ってゆきました。 しかし、一般市民であった白井助七と呼ばれる人物が、この地域を立て直すために立ち上がり、ついには大宮駅を設置。 そして、鉄道の街として栄えるようになるのです。

 

長い年月をかけて、その名前の意味や現在の名称にいたるまで、さまざまな変遷を経験してきた旧大宮市ですが、残念ながら、多くの人の間では、その事実はそれほど知られていません。 今現在では、交通の便もすばらしく改善しつづけて、人口の多い地域となって、発展し続けていますが、その背景にあった、歴史をそのまま多くの人に語り継がれ、絶やすことのないようにしたいものです。